精神疾患を乗り越えて①(体験談)

精神疾患を乗り越えて①(体験談)

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一本道

 2021年3月、主治医の精神科医京都市)と久しぶりに面談しました。と言いますのも、「何かあったら、電話で予約を取って受診して下さい」と、医師に言われてから半年位、受診も投薬も受けていませんでした。本日は3年に一度の障害等級の状況調査で、年金機構に書類を提出しなければならなかったので主治医を訪問しました。
しかし、「落ち着いた状況が一年以上も続いているので、障害状況の診断書を書きようがない」というのが病院側の判断でもありました。医師とも相談の結果、診断書は提出しないことにしました。思えば「障害者」という烙印で過ごすこと20余年(当年61歳)、長い道のりでした。失ったものも多いですが、今となればそれも学びのひとつだったのかも知れません。重度の精神障害等級(二級)から健常者に戻る事例は少なく、さらに生活保護から自立するケースはかなり少ないと言われています。
私のこうした事例を体験としてお話できるのは、「形而上学」との出会いがあったからで、それ以外の理由は考えられません。事実、私はそれ以外、治療と言われることは何もしていないからです。まして、素晴らしい治療法や素晴らしい新薬、健康法、有名な医師(失礼ではありますが)に出会ったわけでもありません。学んでいるうちに「いつの間にか良くなった!」としか言いようがないのです。とは言いましても出会った医師、看護師の方々や関わってくれた方々には非常にお世話になり、感謝しかありません。
 ただ、障害年金については2022年の4月までは支給要件が続くそうで、生活が安定するのを確認してから打ち切りたいと考えております。また手帳に関しては、2021年の10月に更新時期が来ますので、その時点でお返ししようと考えております。
これからお話しすることは、私の過去を振り返り、私が歩いてきた道を辿ることで、これから精神疾患に立ち向かおうと考えておられる患者さまやご両親の一助になればと思い、書き上げたものです。

** 発病 **

 私は20数年前に仕事のストレスと過労(地元の運送会社で総務課課長代理兼コンピューター担当課長を拝命しておりました)で石巻市心療内科(当時は先駆的病院)の診察を受け、「大うつ病」と診断されました。当時の症状としては疲れが取れず、疲労感が常にあり、気が滅入り、仕事もはかどらず、頭痛や胃痛やその他原因不明の体調不良に悩まされていました。妻(のちに離婚しました)が医療関係者ということもあり、不調の度に病院での診察を受けて来ましたが、これという原因も見つからなかったために、心療内科という病院は、私にとっては何かそこで答えが見つかりそうな根拠のない期待がありました。

 当時の時代背景として、「うつ病」は珍しく、アメリカからやってきた「うつ病」の流行に日本が飲み込まれようとしていた時期でもありました。当時のうつ病治療薬はSSRIが主流で、現在では劇薬指定されているものが多く、「長期間服用すれば治る」と言われていた薬剤を20年以上も服用し続けた結果、「かえって症状が悪化した」という事例も多く、国が見解を翻して劇薬指定を行っています。
 このような時代背景の中での診断や治療でしたので、真実は良くわかりません。しかし、現在も尚、相変わらず製薬会社の新薬を推奨するという形で製薬会社と医療業界を巻き込んでうつ病ブームを煽っています。このような 状況に関して、興味のある方は「発達障害バブルの真相」(米田倫康著)を読まれることをお勧め致します。現在は発達障害うつ病のバトンを受け取って流行しています。これからしばらくはコロナなのでしょう。
 今でもこうした治療法が難しい病気や精神疾患や難病に向き合われている方は、確たる根拠もないままの治療を続けておられると思います。私がこれから述べることは、こうした状況下で、選択肢として検討して頂きたい事例のひとつです。

** 薬害 **

 治療法が難しい病気や精神疾患や難病に向き合われている方々は、治療を投薬に頼らざるを得ませんが、治療薬というよりは症状を緩和させる対処療法で、現状維持が限界のようです。しかし、一方では薬害ということもお話しなければなりませんが、世にはむやみやたらに薬害を訴えて医療否定の態度をとる方もいらっしゃいます。そうした極端な発想は、逆に薬物を陰でコントロールしてきた方々と真反対のようですが、実は同じ発想だと思います。苦しい思いをしているのは本人であるのに、痛みや苦しみとは無関係の人間が薬物うんぬんを言うのは筋違いだと思います。「患者本人の立場でものを考えて欲しい」というのが私の思いです。
 そして私が思うお薬に対する考えは、「お薬は飲み続けるものではなく、症状を軽くするために服用するもので、目指すべきは患者の基礎免疫力を向上させ、本来の目的である病気の改善へと促すこと」だと考えています。そのようなお薬が存在すればですが、私の知る範囲では現実には存在していないようです。
 すべては過度の薬物依存が元凶で、薬物自体は本来「毒にもならないような薬は薬とは言わない」というのが昔からの日本の医療の考えです。薬物自体が問題ではなく、薬に頼りすぎることが問題なのだと思います。かく言う私もお薬に頼りすぎた人間で、長期間多量のお薬を服用したために最後は肝硬変を誘発し、お薬自体服用できなくなりました。
 それを踏まえて申しますと、「うつ病」の治療薬は向精神薬ですから「双極性障害躁うつ病)」を誘発します。そして、「躁うつ病」の治療薬は「統合失調症」を誘発します。更に「統合失調症」の治療薬は、次には「精神分裂症(多重人格)」を誘発します。調べれば誰でもわかる当然の流れになっていますが、病院(精神科医・薬剤師)から、それらの関係性(危険性)に付いて語られることは皆無です。そういう意味で私は長期の薬物治療はお勧めしません。
 ただ、私は現在治療中の精神疾患の方々に「薬物依存は危険ですよ!」とは言えても、「やめなさい!」とは言えません。私には、今悩まれている症状の緩和には「必要な薬物」だということが痛いほど理解出来るからです。その服用なくして日常生活の維持は難しいと私自身が実感して来たからでもあります。
 しかし今まではそうだったかもしれませんが、投薬で症状を緩和しながら、病気の根本的な問題や原因についてアプローチをしていけるものが存在するとしたら、如何でしょうか?
 私はそのようにして医療での治療を続けながら、一方でそうしたアプローチを続け、結局4年という歳月は要しましたが改善するに至りました。これからその経緯をお話させて頂きます。
 もし、これをお読みになられてご興味がわきましたら、是非一度試してみられるのも良いかと思います。金銭的にも肉体的にもリスクはありません。現在多くの方がそうした状況の打破のため、集まって来られています。

** 光明 **

 「どのようなアプローチか?」ということになりますが、病気も様々な症状も周りで起こる様々な事象現象もすべて「何かの合図・知らせ」である、ということを基本に考えて行きます。
 今までは原因を自分の心や性格や環境などの中に探して行く作業でしたが、それは結局更に自分を責める結果へと自分を追い詰めて行きます。こうしたアプローチで改善していくためには、かなりの精神力とエネルギーを要します。
 しかし私たちは、「明確な意図を持って、何かを気付かせるため病気や苦しい思いをさせて合図や知らせをかけている第三の原因がある」と考えます。その意図を知ることによって、その意図に沿った行動をすることで、病気や苦しみが改善していくという経過を辿ります。如何でしょうか。非常に理にかなっているとは思われないでしょうか。
私の経験から申しますと、どんな名医を探そうが、どんな良い治療法に巡り会おうが、どんな良い治療薬に巡り合おうが、心の問題(精神の問題)は外的(心理学的、物理的、科学的)なアプローチだけでは完全には治らないと確信しています。
 私が「形而上学(超科学と科学の融合した学門)」という「形而上学的なアプローチ」で奇跡的に改善する結果を得ることが出来たことが、その良い例ではないでしょうか。私は、何か特別な治療や有名な名医に巡り会った訳でもなく(失礼ですが)、その時々で自分に必要な出会いを頂いて、今に至っているだけです。

 私の結論は、最後は本人の気付きでしか改善しないのが「心の病(精神の病)」だと実感しています。私がこの形而上学と出会ったのは、2016年10月23日ですから、かれこれ4年半かかり寛解しています。学びの3年目位には睡眠薬からも離れることが出来ました。学ぶだけで、こんなに熟睡できる日々がやってくるとは夢のようでもあります。

** 最後に **

 4年前の私は「双極性障害」「統合失調症」「発達障害」「不安障害」「乖離障害」などなどの重度の精神障害を持ち、さらに「重症筋無力症」という難病の疑いも出て、普通の生活が送れない状況にありました。また生活保護から無謀にも離れ、生活苦にも悩んでいました。
 それに親族や兄弟、親子とも関係を絶たれ、孤立無援の状況で、何かあっても身元保証人もいない状況でした。それからたった4年半で健常者の仲間入りが出来ることを、今は本当に嬉しく有り難く思います。
 どのようにして改善の道を歩いて来たのかというプロセスに付いては、後述致しますが、「こんな気付きを得て改善しました!」と、簡単に一言で言えるものでも無く、よくある「HOW TO」もののようにエッセンスだけをまとめてみたところで、その真意をお伝えすることは出来ません。
 全てにおいて「適法(法に適い)・適時(時に適い)・適処(場所に適い)・適才(能力に適い)」(これを形而上学では四適という)があり、その状況において、ベストな選択を続けて来た結果が「今である」というのが正しいかと思います。
 今、振り返り思うのはこれもひとえに大自然の存在と今まで支えてくれた形而上学の仲間の皆様のおかげでもあります。またずっと支えてきてくれた妻にも感謝したいと思います。そして「形而上学の教えが間違いではなかった」ということの証明(エビデンス)を一つ積み上げることに貢献させて頂けたら幸いです。
 この本が、現在苦しんでおられる精神疾患の方や苦しんでおられる精神疾患のお子さんをお持ちの親御様の今後の参考の一助になればと思っています。