精神疾患を乗り越えて②(体験談)

精神疾患を乗り越えて②(体験談)

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一本道

***    病気の原因は「田わけ」      ***

 さて、最初の絵姿にありましたように私の問題は遺産相続にもあり ました。なぜ問題なのかと言いますと、私達の常識では遺産相続は当然の権 利だと考えていましたし、周りの良識者や行政ですら、それは当然の ことのように考えておりました。ところがこの形而上学では、それは「非常識」でした。

 その根拠は、日本の歴史上で悪政と言われた「田わけ」というものを私は知らなかったのです。「田わけ」とは、そのままの意味で、財産 の田んぼを子孫へ分けて譲渡して行く制度を昔行った権力者(源氏) がいましたが、それで国力が落ちて、それが原因で滅亡し、その悪政を廃止して元に戻したという経緯が過去の歴史(「田」より)にありました。

 そんな歴史の教訓があるにも関わらず、なぜ戦後の日本にそんな制 度が敷かれたのかと疑問でしたが、それを発布したのは当時のGHQシャウプ勧告)だったということで私も合点がいきました。当時GHQは、学校の教科書から正しい歴史を廃止していたのです。その後の日教組 の教育で私達日本人は間違った歴史観を持ち、間違った考えに立った 判断を続けて来た、というのが歴史の事実でした。こんなことを私は 恥ずかしながら初めて知りました。この形而上学に出会っていなければ一生知らずに過ごしたかも知れません。

 正しい判断は正しい知識が必要ということですが、これは分かっているつもりでも、今の情報社会では中々難しい状況にあります。人の意見に流されずに、自ら根拠を確認して自ら考える癖を普段から付けていかないといけないと実感いたしました。しかし全て、悪法を日本に敷いたGHQが悪く、それを正さなくてはならないのか?と言うと、 そうでもないと思います。

 つまり、当然のように財産の分与権を私は主張していたわけですが、 財産は先祖が残す「供養料」と考えるのが形而上学的な考えでその財産は「預かり物」だということです。

 その家と先祖の祭事(まつりごと)を引き受けるからこそ、それを預かる権利を得るわけで、私はその自らの義務を放棄しておきながら 権利ばかり主張していたがために体に合図(知らせ)として病気の症 状を頂いていたということです。

 無知を正す必要はありますが、自らの人生の歪み(合図)の原因を 他人や自分以外に探し求めたり、他人や自分以外のせいにしたりすれ ば、更に歪み(合図)を深刻にするだけで何の解決にもならないことは、今の私ならよくわかります。

 形而上の法則とは、「すべては合図(知らせ)」で、その合図をかける主は大自然で、全ての合図には大自然の目的があり、その合図の意味や目的を解明し、その意図を「知り」、それに「合わせる」生活を送ることで、苦しみ(貧・病・争)は減っていくものと知りました。私は、多くの人が遺産相続を機に不幸な人生を送ることになる理由が分かった気が致します。 これは遺産相続に限らず、私のお金に関する深い業によるものと最近は思っています。お金で苦労するのは、自分が過去してきた自らの 業の為であるという「自因自果」の法則通り、私は過去に親のお金を当たり前の様に考えて使い、不平不満を言い、家庭を持った後も自分の好きなようにお金を使い、病になっても働いていた当時と同じよう にお金を使い、破綻したにも関わらず、そうした考えの甘さを正すことが出来ずにいたことが問題でした。

 病気が治ったとしても、そうした自分の癖が治らなければ同じ過ちを繰り返していたことでしょう。私が「重症筋無力症(金無力)」とい う難病の症状に悩まされたのも、こうしたお金の管理の仕方や使い方を諭す合図(知らせ)だったと、今は悟れます。

***    過干渉     ***

 さて、振り返ると精神疾患の原因となっていったのは、自らの生い 立ちの中に意外なヒントがありました。

 私のルーツは万葉や日本書記や古今和歌集の時代の書物にも出てくるルーツに至ります。辿ります と藤原氏との深い関わりがあった一族であるらしいということです。 そんな家系ですから、母方の親族からは「プライドが高い 家」と言われ、多少煙たがられていました。

 では母親はと言いますと、旧商家で、印刷関係の商売で市内の一等地にかなり大きな屋敷を持っておりました。北条家の末裔で、こちらも私にしてみればかなりお高い一族です。昔のことですから、 良家同士のお見合い結婚ということです。

 幼いころは、おじいさんやおばあさんにはすごく良くしてもらった記憶があります。 私の母は良家のお嬢様でしたから、音楽や文学などの情操教育を母親はしてくれたのだと思います。私の悩みは、「何故か、頑張りすぎてしまう」というものです。鬱病になった原因が、「限度を超えた頑張り」「限度を超えた責任感」そうした「融通性の悪さ」や「不器用さ」なのですが、これはどこから来ているのか、を考えた時、そういえば子供の頃から母親の期待に答えようと一生懸命に努力する日々だったと気付きました。

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 当時、母は近所でも有名な教育ママで、小学生の私を塾に通わせた り、英語を習わせたりと、当時の教育ママの先端を地で行く人でした。 母は女性でありながら音楽や文学に詳しく、当時は珍しい存在でした。 父は建築家で、子供の教育には無関心でした。父は地元では名士だっ たようで、訪れる客人は、皆、父のことを「先生」と呼んでいました。 そんな父ですが、時々、竹とんぼや凧の作り方等を教えてくれました。 私は、文化人の母親、建築家で物作りを教えてくれる父親、そうした 両親のことを尊敬していましたし、大好きでした。そんな両親を持ったことを私も鼻が高かったのを覚えています。

 そんな母親でしたので私の教育には厳しく、「最高の教育を」が母の 口癖でした。学校のテストでは100点を求め、成績表ではオール「5」を、生活態度には「品行方正」を、とまるで完全完璧な人間を理想としておりました。しかし、私はと言えば、テストはいつも98点、成績表はいつも体育が「3」、品行方正だったかと言うと、そうでもなく、いじめに近いこともしていた悪ガキでしたが、母から言われるように出来ない自分、100点満点を取れない自分を責めて、母親の言う「理想像」をひたすら 目指して頑張る日々でした。

 生活態度は別として、成績は学年ではいつも1、2を争い、中学では 東北圏では10位以内に入る成績を残していましたが、母親はそれで満足することはありませんでした。

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 私は父が若いときに転勤族だったせいもあり、一つところに一年と 落ち着いたこともなく、友達というものもなく、人とのコミュニケー ションというものは苦手でした。そんな私にとっては、勉強をして良 い成績を残せている間は、先生も学友も私に一目おいてくれる存在に なれるということは、非常に楽なコミュニケーションツールでした。 勉強して良い成績を残すことが「コミュニケーション」となることが、そもそもの間違いであることには、当時の私も気がつきませんし、それが悪いことであるとも思いませんでした。

 母親は私が中学に入ると、私の将来を考え、田舎ではなく都会の進学校へ通わせたいと考えるようになり、中学1年の私を仙台市進学校へ転校させました。これには私も驚きましたが、不思議と母親の言うとおりに反抗もせず、それを受け入れました。

 「転校」ということに慣れて、友との別れとか新しい環境への不安 とかには慣れっこになってしまっているので、私もあまり深く考えることもありませんでした。しかし、中学、高校と、両親と離れて暮らす生活は、私にしてみると両親との思い出を作る時期を逸してしまい、 私は今現在も、両親との記憶を思い出すことが中々出来ません。私が 思うのは、長い人生の中で、親と共に生活し、親の愛情を感じて育つ時期にはそのようであり、独立独歩の時期にはそのようである、というあるべき姿を欠いた人生を送ると、どこかでうまくいかない歪みに悩まされることになると知りました。

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 話は戻りますが、そうした教育が裏目に出たのは私が社会に出たと きでした。社会に出ると社会の期待に応えるのが当たり前で、その期待は天井 知らずに膨らみ続ける、ということに私は全く気付かず、期待に応え 続ける努力を一生懸命続ける日々を送りました。

 期待に応える限度を知らない私は、過度の反応を繰り返し、「もっと、 もっと」という上司の期待、そしてさらに「それに応え続けたい」という私の間で、体と心が悲鳴を上げ始めたのが30歳を過ぎたころで した。しかし、そうした生き方しか身につけていないので、もう対応不能 な状況に陥り、対応出来ない自分に嫌悪して自信を失い、期待に応えられない自分が悔しく、自分の存在価値さえ疑わしく思えて来ました。 これが発病(うつ病)の経緯です。

 鬱病が単にその時の状態やその時の経緯だけで発病するなら簡単なことかも知れませんが、こうした状況に至るまでに、30余年という人 生の経過があり、それ故の発病ですから、環境を変えたり、休養を取ったり、考え方を変えてみたり、などの一過性の処方で良くなるはずもありません。私の発病は母親のせいだとは思ってはいませんが、精神疾患のお子さんをお持ちの親御さんは、自分の子供に「過干渉」ではなかったか、 を一度振り返ってみられることをお勧め致します。「過干渉」で育てた子供には、自分の力を見極めて要領よく歩くという基本的な能力がどこか欠け落ちています。母親への依存度も強く、トラブルが起こったときの対応力も低く、その尻ぬぐいが自分で出来ない子供さんのケースが多いはずです。

 発病した子供さんに、まして改善したかに見える子供さんでも、独 立独歩、自立を求めるのは酷な話です。判断力や行動力が鈍っている、または正しい判断や行動が取れない状況で、今まで教えてこなかった ことにチャレンジさせること自体無理です。子供の頃には過干渉過ぎるほど関わっておきながら、子供が大変な時にそれを他人事のように 突き放すのは如何なものか、と私は感じます。私はそういう怒りを母親にぶつけた事が一度ありますが、振り上げた手を納める事が出来ず、自らの腕にはさみを突き立ててしまいました。このように、「怒り」を、他人に向けられないのも悲しいものです。

 ではどうすれば良いかですが、もう一度やり直すつもりで、子供さ んと一緒に形而上学を学ぶことから始められることをお勧め致します。 過ぎてしまった事は仕方がないことで、今更責めても何にもなりませ ん。気付いたことから始めれば良いわけですから、これからです。大丈夫です。

 子供かわいさの為に「過干渉」になるのは、長い目で見ると子供のためにはならないと、私は思います。これも形而上学的に言うと「自己の住位」と「自己の分限」で生きることの大切さを言っている訳で すが、子供にこそこうした形而上学的な生き方を早く伝えて行くべき だと私は思います。

 私が思うに、形而上学で肝になる部分の一つがこの「自己の住位」 と「自己の分限」だと感じています。これが押さえられたら、人生は大分楽になるはずです。